
いつも歩いているのだが、大抵どこかに行く目的があるので目がいかない事に、カメラを持っていると気づいたりする。
まぁ、そうは言っても、これはという物件にはなかなか当たらないのだけれど。
そして、これはと思って撮ったものも帰ってきてPCの画面で見てみると、全くどうでもいい感じであることが殆ど。

もちろん逆もあって手持ちぶさたで、ただ撮っただけというのが割合良かったり。
それに近いが、時間をおいて観てみるのもいい。メモリカードも大容量になって、どんなに撮ってもいっぱいになることがなくなった。私のようななんちゃって写真好きでも、フィルム時代に比べたら考えられない枚数を一日でとる。
たくさん撮りすぎると全部をじっくり観るのは時間が掛かりすぎるので、撮っているときに、これはうまく撮れたかも、という期待の写真にどうしても注目してしまいます。
しかし数ヶ月とか時間が経ってから見直してみると、撮影時点の記憶はほとんど無くなり、全てを平等に観ることが出来るようになると思う。別のお気に入りに出会えたりして嬉しい。

カメラを鞄に入れておいて、お、と思ってから出して撮ろうと考えても、何故か不思議と、お、と思う回数が少ない気がする。対してカメラを手に持って歩いていると、良く見つかる気がする。いつも見慣れているはずの町もカメラを手に持って歩くと新鮮な発見があります。
先日読んだ、田中 長徳 著 「カラー版 カメラは知的な遊びなのだ。」が、面白く、グッと撮影欲が高まっている今日この頃のエントリーでした。
#このエントリーの写真はちょっと前に撮ったやつですが(汗)
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